このページでは第1部としてNPO法人子ども未来研究機構設立の背景や経過に係る先哲・研究者の書籍のエッセンスの引用・要約と先進事例などを紹介しながら、「農業と教育の関係性」について私なりの論拠について述べていきたいと思います。第2部として37年間の地方公務の傍ら、日本の行く末を案じて、ついメモとして残して来たものを多少の気恥ずかしさもありますが、順次ご案内して見たいと思います

第1部

 

「農は万年、亀のごとし」  渡部忠世  1996年  小学館

 私が、最初にこのテーマと出会ったのは渡部忠世先生の「農は万年、亀ごとし」(1996年)、「稲にこだわる」(2000年)の中に紹介があった、新渡戸稲造の「農業本論」(1898年)の第10章(最終章)では農業の発展が商工業のもとであること、農業の衰退が如何に社会を荒廃させることになるかを諄々と説いてある。そして、商工業の発展、国家社会の隆盛に農業の貴重な理由を多くの東西の例を挙げ、「農と工とは双生児なるべし、けだし共に長育し、また共に衰死す」とある。農業の貴重さを省みない浅はかな風潮が広がる昨今、21世紀の新しい現代の「貴農論」を築いて、それを国家の意志として国民合意に近づける努力が何より重要であると述べている。さらに、第7章「農業と風俗人情」の「欧米の学者農の徳を頌す」の項で、次のような点が「農の徳」だとされている。

 第一 農は自主自由の精神を鼓舞する  第二 農は愛国独立の精神を励ます  第三 農は人をして着実ならしむ

 第四 農は寧静深慮の念を養わしむ  第五 農は自重の念を強からしむ  第六 農は教育を勤む

 第七 農は美術心を起さしむ  第八 農は宗教心を固からしむ  第九 農は正義心を固からしむ

と述べてある事が、何故なのか実感できずに、正しくカルチャーショックであり、これ以来「農業と教育の関係性」についての関連書籍に目を通しながら探究の道が始まることになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「この国を思う」 安岡正篤 1996年 明徳出版社

 

 第4編 耕学清話「農字の説」p191~

 

 一体「農」という文字でありますが、字がはなはだおもしろい。曲と辰との二つから成り立っておる。上の曲はさらに二つから成り立っておる。一つは臼・・・人間が両方から向かい合っておる。ミレーの「晩鐘」の画みたいな字だ。その中に「臼の中が×という字」が入っておる。これはノウの音符でもあるが、単に音符としないで、脳の古文字とする考え方もある。これはおもしろい。辰は星、暁の星たることは言うまでもない。要するに晨の星をいただく人間の耕農の勤労をあらわす文字である。と同時に、そこに脳がなければいかんのだ。あしたの星を戴いて営々として働くというだけでは只の農業労働だ。そこにこの脳が入らなければならぬ。これが入るか入らんかで諸君と普通の農夫との違いがあると思う。

 

 「土」という字は大体二説がある。一つの説によると、上の一・・・これは地表を表す。下の一は・・・これは地中のある段階をあらわす。たての│は草木をが根を下ろし、茎を伸ばしておるという字、すなわち植物の生成するところを示す字です。

 「田」という字もおもしろい。周囲の口は土地の一定区画をあらわす。真中の+は縦横の道をあらわす。すなわち田には道が大事だ。耕作道や灌漑用水路が肝腎である。日本の農村を見ると道が発達しておらぬ。これは将来大いに改良を要する。総て縦横に道をつけなければ・・・農業ばかりではない、田地ばかりではない、人生すべてのことしかり。どこへ行くにも、何をするにもまず道をつけねばならぬ。道を践まなければならぬ。それによらなければ動きがとれない。ドイツが圧倒的に欧州を席捲したのも、道路が発達しておったことを見逃せない。人格も、道をつける、道を知ると言うことがなければ何も出来るものではない。それをこの田という字がよく表しておる。

 

 そこでその田に力める・・・物事に縦横に道をつける・・・そのことに力めるのが「男」という字で、田に出て力仕事をする原始的意味から道に努力する高次の意味まで、「男」という字だけで十分考えさせられる。田あり土あるものを「里」という。すなわち耕作すべき田があり安住すべき土地をもっておるというのが「里」であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「耕す文化」の時代  木村尚三郎 1988年 ダイヤモンド社

 

 現在は人々の価値観が大きく「文明」から「文化」へと転換しつつある。ここでいう「文化」とは大きく三つの要素を満たすものでなければならない。三つの要素とは第一に土の匂いがすること、第二に自らの手足や脳を働かせること、そして第三は収穫を楽しむことである。「文化」とは本来「耕作」の意味であった。そして「耕作」とは土を耕し、作物を育てることである。耕し方は土地によって違う。山地と平地でも違うし、湿地帯と乾燥地帯でも違う。暑い所と寒い所でも違う。だから当然作物も違ってくる。作物が違えば食べ物も食べ方も違ってくる。そうした「食」に代表される土地ごとの生き方の形式が文化である。祭りや宗教、建築様式、芸能、物産、言語、風俗、習慣、歴史と伝統---。こうした、その土地土地に息づいている生き方の形式が「文化」の名に値する。

農業の土壌の上に産業社会が成り立っており、そして産業社会が成熟した今日の段階において、再び土台としての農業の重要性が見えてきた。その農業を軽視し、みんなが農業体験を持たなくなれば人々の心が孤独にバラバラになるだけでなく、土に根差した文化そのものが衰退する。そして五感による自然とのふれ合い体験が失われて、五感をフルに動員して全身で考えることができなくなり、科学技術そのものも大きな発展が望めない。

人間同士が心を合わせ勤労に勤しみ絶えず自然との調和をとって謙虚に生きていく、こうした生き方は、やはり農業からしか生まれない。これまで私たちが軽視してきた、そして就業人口の点でははるかに少なくなってしまった、第一次産業は単に経済的な効率からのみ考えられるべきものではない。すなわち、農業というものを「文化」の基礎として考え直す時期が目の前にやってきていると思う。

自然との接点を失った都会人(都市生活者)は生活の内実を高めるといった文化の本質を失ったまま繁栄の幻想に浮かれ、その夢に破れ、疲労していくだけだ。

工業社会の発展こそが依然として新しい世紀の燭光だと、大方が信じている現代おいて、農業が文化再生の出発点にあり、その発展を抜きにしては、都市文明も基盤を失うであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エミール」   J.J ルソー 1762年  岩波文庫(上)

「農の営み」に何らかの教育力をイメージする議論の元祖はJ.Jルソーだと言われています。生い立ちがそう言わしめているのか良く解りませんが、それらしきセンテンスを引用してみます。

「あらゆる技術のなかで第一位におかれるもの、最も尊敬されるべきものは、農業だ。わたしは鍛冶屋を第二位に、大工を第三位に、といったふうにしたい。」 P432

「それにしても農業は人間のいちばん基本的な職業だ。それは人間が営みうる職業のなかでいちばんりっぱな、いちばん有用な、したがってまたいちばん高貴な職業だ。わたしはエミールに農業を学びなさい、とはいわない。かれはそれを知っているのだ。田園の仕事はすべてかれにとって親しいものになっている。かれははじめに農業をやったのであり、たえずその仕事に帰っていく。だからわたしはかれにこう言おう。きみの先祖の土地をたがやすのだ。しかし、もしその土地を失ったら、あるいは土地をもたなかったら、どうしたらいいのか。なにか職業を学ぶことにしよう。」P452、453

 

 

 

 

 

 

 

 

「社会園芸学のすすめ」 松尾英輔 2005年 農山漁村文化協会

私と松尾先生の出会いを少しご紹介しますと、NPO法人子ども未来研究機構の設立記念フォーラムのゲストシンポジストとしてどのような方が相応しいのか思案を巡らしていた時、先生のこの著書に出会い「この分野の第一人者」と言うことが判り、なかなか連絡が取れない状況の中、九州大学を定年退官され、東京農大にご勤務という情報を知り、早速大学の人事課にご相談いたしました。程なく、先生から連絡を頂き、フォーラムの主旨をお伝えしその場でご快諾を頂き、今日まで厚かましくも、親しくご指導を頂いている次第であります。そのエッセンスをご紹介いたします。

第2章5 農芸教育-----人間性の養成と回復を目指して  P118~

 園芸の教育的意義のなかで、人間らしく生きるうえで不可欠であるにもかかわらず、これまで注目されてこなかったのが、育てる(育む)ことを体験し、これを学び・教えるという役割である。「育てる(育む)ことは、私たちが人間として生きるうえで、「猟る」こととともに車の両輪をなすものである。育てる(育む)ことは、生きものを通してしか学べない。その生きものを取り扱う活動のなかで園芸はきわめて大きな地位を占める。これを、積極的に活かしながら、育てる(育む)ことを学び・教えることによって、人間性の養成を目指し、失われた人間性の回復をはかろうというのが農芸教育である。

 

農耕を通しての教育に関する考え方

 従来の農業教育では農業の技術を教えることを目的とする産業(技術)教育的(または職業教育的)立場と、生きものを育てることを通して人格的陶冶あるいは人間形成をはかることを目的とする人間教育的立場があった。この職業教育的見解は、筆者のいう農業教育に、人間教育的見解は農芸教育にそれぞれ対比しうるようにみえる。しかし、そのとらえ方は根本的に異なる。

 従来の農業教育では、1)職業教育と人間教育とが一つの土俵内で雑然としたまま論じられてきた。2)目標とする人間像が明確ではなかった。3)人間らしく生きるうえで不可欠な、育てる(育む)思想の養成は農芸によって可能であることが理解されていなかった。等の諸点に問題があったといえよう。

 

農芸教育の必要性

 現代の私たちは、育てる(育む)思想に比べて、猟る思想が圧倒的優位な社会に生きている。このことは、私たちが人間らしく生きることを妨げられていることを意味する。すなわち、人間性喪失あるいは人間疎外の状態にあることを示す。おとな自身がそうした状態にあるなかで、子どもが人間らしく育てられているとみなしがたいのは当然であろう。青少年による家庭や学校での暴行、いじめ、非行などは、人間として育てられることを要求する彼らの訴えといえるかもしれない。そして、これらの子どもが大人になった昨今では、児童虐待という社会問題がこれを表現しているといえるのではなかろうか。私たちはいま、人間らしく生きるために、育てる(育む)思想の復権とその養成をはかるべく、農芸教育の重要さを見直す必要性に迫られているのである。

 

暮らしのなかの農芸教育-----意識されない農芸教育
 育てる(育む)行動・思想を学び・教える場や機会はないのだろうか。というのは1)園芸が
ガーデニングブームといわれるほど多くの市民の関心を集め、2)田舎暮らしを指向する人がふえつつあり、3)総合的学習の時間に植物の栽培をと取り上げる学校も増え、4)これを視野に入れた福岡県の教育センターの栽培研修には10倍を超える受講希望者が殺到した。などの実情をみると、市民の暮らしは植物の栽培と無縁だとは考えられないからである。

 しかし、総じて学校教育の場にあっても、家庭にあっても、育てることを学び・教える農芸教育は意識的に行われているとはいいがたい。すなわち、子どもたちは、人間となるように育てられ(育まれ)ているはずなのに、人間として生きるうえで不可欠な「育てる(育む)ことはほとんど学んでいないし、教えられてもいないということになる。

 

 

 

 

 

 

 

「五感で学べ」  川上康介  2011年  オレンジページ

 

 

この本はジャーナリスト川上康介氏が世界的な種苗会社タキイの滋賀県湖南市に所在するタキイ研究農場付属園芸専門学校を1年半にわたって10数回の自らの取材体験を通した感動的なレポートです。このエッセンスの中にも、人間の営みとしての真髄が証明されているようです。

「僕もここにきてから親や地元の友人から(優しくなった)、(気を遣うようになった)と言われるようになりました。自分ではよく分からないんですが、理由があるとしたら、植物と接しているからだと思います。植物は自分で話すことができないから、こちらが彼らの気持ちを汲み取ってあげなければならない。葉を見て、葉の裏を見て、花を見て、茎を見て------そうやって植物が発するメッセージを受け取らないと、すぐに枯れたり病気になったりする。

実習を通してそういうことを学んでいくと、日々の生活や人との接し方にも変化が出てきます。仲間が今何を考えているのか、どういう気持ちなのかを常に考えるようになる。自分のことより、まず相手のことを考えるようになる。いつの間にか、そういうことが自然にできるようになった気がします。」(タキイ研究農場付属園芸専門学校平成20年度若葉寮寮長・山中景星君)

 

まだ二十歳の青年が多くの人生経験を重ねた大人のように語る。顔つきや口調もしっかりしていて、揺るぎない自己を感じさせる。そこに「大人びた」嫌味な感じはまるでない。私はそんな二十歳を見たことがなかった。山中君だけではない、ここにいる生徒みんなが同じような雰囲気を持っているのだ。人は畑で植物を育てる。しかし同時に畑が人を育てているのではないか。私は彼の言葉を聞きながら、そんなことを考えていた。きっとこの学校には、人生で学ぶべき大切なことが隠されている。

社会園芸学という学問の存在は、研究農場の場員、藤林希美さんから教えてもらった。大学院時代、園芸医療の研究をしていたという彼女に「畑が育てる」というテーマについて話したところ、同じように植物と人間、園芸と人間、園芸と教育などの関係について研究するこの社会園芸学という学問があることを教えてくれたのだ。その第一人者は、九州大学農学部名誉教授の松尾英輔先生。私は教えを請うべく現在松尾先生が暮らす福岡県小郡市へとむかった。

「これまで園芸、農耕は経済的な生産行為としてしか語られていませんでしたが、本来無意識的に扱われてきたそれらが持つさまざまな効果を、きちんと考察するのが社会園芸学の根本となります。例えば、環境の改善、精神的・肉体的な機能の回復や増進、地域社会の形成、文化の継承、あるいは人間が個人的・社会的に成長していく上で必要な教育的役割など、植物や園芸、農耕行為が持つ力というのは多岐にわたります。これらは、これまであまり注目を集めていませんでしたが、ガーデニングブームをきっかけに脚光を浴びるようになったのです。」

 

植物の成長に関わって、その手入れ、世話をする行為には、ふたつの体験が含まれている。それは、五感を通した「感覚体験」と身体を

動かす「動作体験」だ。

「園芸、農耕とはこのふたつの体験を統合し、繰り返していくものです。植物を見て、嗅いで、触ることによって、この植物が{水が欲しいんだな}とか{病気になっているな}ということを感覚的に把握し、それに対して適切な動作、行動をとる。こうして植物を感じ、行動することによってストレスから解放されるだけでなく、動物として持っている{育てる}本能が触発されることになります。さらにこの二種類の体験を組み合わせるなかで、{もっと大きな実をつけたい}、{もっと美しい花を咲かせたい}、あるいは{こういった加工品を作りたい}という人間的、創造的な欲求が芽生えてきます。こうした一連の流れのなかで、考える喜びを味わい、やり遂げる喜びを味わい、それが自信に変わり、自己評価を確立し、次へ向かう意欲になるわけです。」

「自分以外の生命を育てるという行為には、相手を主体としてものを考える力が必要です。これこそまさに、「思いやり」です。植物を育てる行為が思いやりを育てるのです。最近、児童虐待や育児放棄の問題が多発していますが、幼少時に生き物に触れる機会が少なかった若者たちが、この「育てる」本能を目覚めさせることができずにいるのではないかと思っています。」

やはり畑は人を育てるのだ。生徒たちの変化を通して、そのことを実感していたのだが、改めて確信を持つことができた。さらに松尾先生によると、タキイのように集団で農作業を行っていることでより大きな人間的成長を獲得できるのだと言う。

「植物を育てるという個人的な行為を集団で行うことで、複合的なコミュニケーションが生まれ、共通の価値観を築き、連帯感を得ることが出来ます。仲間の存在によって{孤独ではない}{人の役に立っている}{自分の存在は無意味ではない}ということが確認でき、次のステップへの意欲へと繋がっていくのです。」

若葉寮の仲間や場員たちとの触れ合いが、彼らにさらなる自信を与え、それが未来へと繋がっていく。タキイのような学校が増えれば、日本という国も何かが変わるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

NPO法人 市村自然塾九州の事例      鳥栖市河内町字谷口2212番2

私のNPO法人子ども未来研究機構設立の決定打になった動機について少しご紹介をしておきます

 

『平成20(2008)年10月25日土曜日の午後、佐賀県鳥栖市河内町の山間に平成15(2003)年3月に開設された、我が国で最初の通年型農業体験活動施設であるNPO法人市村自然塾九州を訪れました。この時、親切に応対して頂いたのが、他の誰にも出来ない貴重な経験を活かして今日なお、ご指導頂いている塾母の楢崎タキコ先生で、ご自身は鳥栖市内の小学校の教頭を定年退職し、請われて当初からの再就職先でした。

この日は「掛け干し」されている「稲の脱穀の日」で、やはり期待した通り、子どもたちの眼の輝きが違って活き活きとしていました。非日常的な活動の中で、五感を通して自分たちが毎日食事として頂く「お米」を自ら、「種をまき」、「田植えをし」、「稲刈り・掛け干し」を経て約6か月後の収穫作業であります。子どもたちは成功感・達成感で満ち満ちていました。翌年の3月31日に、37年間地方行政マンとして勤務した熊本市役所を定年退職する半年前の私の感動のシーンであります。この時、思わず退職後は「熊本でもこのような事をぜひ実現したい」と楢崎先生に約束してしまいました。』

    『 自然は偉大なる先生「徳育・食育の救世主」熊本における通年型農業体験活動プログラム 』研究レポート「あとがき」から

「市村自然塾九州の概要」

平成14(2002)年に(株)リコーが中心となり子どもの教育改革の一助にとの思いから社会貢献活動の一環として、NPO法人市村自然塾関東とその翌年、創業者市村清氏の生誕の地・佐賀県鳥栖市にNPO法人市村自然塾九州を設立し、多様な自然の生態・自然の原理を学び、農作業の実践を通じて青少年の健全育成に寄与することを目的に実現した施設であります。

全国初の通年型農業体験活動施設「市村自然塾九州」では、九州各地域の小学4年生から中学2年生までの男女各30人が、3月から12月までの隔週末の2泊3日で年間18回、米や野菜約30種類を栽培しながら寝食を共にしています。そして、ここでは「自主性、自律性、自立性」を身につけ、集団生活での人間関係や五感で学ぶあらゆる体験活動を通じた「感謝と生命」、また仲間と共に収穫の喜びを感じ、成功感や達成感を味わいながら、豊かな心身の成長や学習意欲と深く係わり、生きる力を逞しく向上させています。

   

       施 設 概 要

  

               1 塾  舎

                    建築面積    490㎡(148坪)

                    延べ床面積  720㎡(218坪)

                         コカコーラより無償で借り受け

               2 用  地

                     1200㎡

                         鳥栖市より無償で借り受け

               3 農  地

                     田   1500㎡(450坪)

                     畑   共同農園  1500㎡

                           チーム農園  900㎡

               4 倉  庫

                     建築面積   90㎡(27坪)