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未来への備忘録

 

  37年間の地方公務の傍ら日本の行く末を案じ、ついメモした事柄などを紹介していきます。

    また新しい令和の時代を迎え、掲載している事柄と関連する新しい事柄をnew備忘録として紹介していきたいと思います。

 

経済の本義(大和「自然と人間の大則より」)

      安 岡 正 篤     関西師友協会

*この本は安岡正篤先生が先代からの因縁深い関係で、昭和36年2月3日に当時の日本通運福島社長のたってのお願いに対して著わされた本であります。この中に「政治・経済と大和」そしてその中の「経済の本義」についての見識・洞察・先見性は優れて脱帽の限りであります。まだ日本は池田総理大臣の「国民所得倍増計画」という日本経済の高度成長の始まりの頃の、安岡先生のあたかも時代の近未来を予言したような著述になっています。その要約を紹介しておきます。

今日は経済至上時代などと言われる。経済は生活と同義語に用いられ、経済あって初めて自由も幸福も家庭も国家もあり得るもののように解されている。この考えは決して新しいものではない。東洋でも古代から「倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」ということが共鳴されてきた。しかし、この考えに理論的根拠を与えた最も周知のものはやはり、マルクス説であろう。

・マルクス、エンゲレスによって作り上げられた理論によれば歴史的発展の根本には「生産的物質」がある。社会生活とは人間が生きんが為に自然に対して試みる「集団闘争」に外ならない。人間はその存在のために必須の食物、衣服、住居等を得るためにあらゆる努力をする。それが「経済」というものであって、それは人間社会の基礎であり人間社会はこれなしには存在できない。この「経済的存在」が、一切の道徳的、哲学的、宗教的、芸術的意識を規定する。

・根本的な、真実な生活は経済、すなわち「生産的労働」である。その他のものは経済的基礎のうえに立つ上部構造にすぎない。人間が精神といい精神的生活というものは人間の弱さ、生産力発展の不全、経済的圧迫によって作り出された幻影だというのである。

・こういう考え方によって、精神や道徳は経済あってのもの、やがて経済なければ精神も道徳もあったものではないという風が強くなっていった。

・人間が自然経済から貨幣経済に、個人経済から社会経済に進展し、文明が人間生活を複雑豊富にし、宗教・道徳と学問・知識が分裂するに従って、この傾向は益々甚だしくなり、資本主義の勃興は確かに人間社会に非常な罪を作った。

・資本主義の実際の結果は社会の全階級に単なる経済的・物質的生活を貴ぶことにしたことである。それが、段々悪質の無秩序と革命とを養成したということができる。

・この唯物主義・経済至上主義の生き方に理論の武器を与えたものは唯物史観である。誤って、人間百事経済関係によって決するなどと考えたならばそれこそ、人間の自由も、意義も、価値も、権威も何もないことになって人間は単なる機械と化するばかるである。こういうとんでもない唯物史観に捕らわれた知識人が多くて、多くの人々を誤り、世を毒しているのである。

・経済と道徳と両立せぬもののように思うのは最早笑うべき愚見である。いかなる物質的生活問題も、優れた精神、美しい感情、頼もしい信用に待たねば真の幸福とならない。技術の発達に伴う経済的国際化が、各国民の差別を無くすように思うのも浅見である。

・機械的・物質的経済をもって国民の将来を決定するなどと考えてはならない。国民の将来を決定する真の力は、常にその国民の精神的・人格的努力である。

 *アメリカを源にした金融資本主義が地球を席巻する今日、3・4年前だったか、ハーバート大学教授のインタビューが紹介さ れながら「経済至上主義よさようなら」というような番組がNHK特集で放映されていたと記憶しますが、はるか50年以上も前  に安岡先生は今日の経済至上主義の明暗をすでに指摘されていたわけであります。

国柄 ・ 土地柄 ・ 人柄 !!!   (地球上で最も良質で優れた民族?)

  

 東日本大震災直後に世界中を駆け巡った「日本と日本人」についてのネット情報を「世田谷徒然日記」より引用・紹介(英文は省略します)

 

           10things to learn from japan- 日本から学ぶ10のこと

                                   2011年04月30日(土)10時14分19秒

1、静寂

   そこには威勢よく騒ぐ人はなく、嘆きにくれ叫ぶ人の姿もない。ただ、悲しみの存在だけがこみあげている。

2 威厳

   水と食料のための待ち行列は規律があり、そこでは荒い言葉をはいたり、粗雑な行動をとる人がいない。

3 能力

   信じがたいほどの能力ある建築家たち。ビルは揺れた。しかし崩れたビルはなかった。

4 品格

   人々は自分達が当面必要としたものだけを買った。だから、皆がそれぞれ何かものを手に入れることが出来た。

5 規律

   店での略奪はなく、路上でも追い越しや叫ぶものはいない。皆が理解を示している。

6 犠牲

   原子炉にポンプで海の水をかける為にとどまった50人。彼等にこの恩をどう返せばよいのか?

7 やさしさ

   レストランは値下げをし、警備のついていないATMはそこに放置されたままである。そして強い人は弱い人の世話をし              て いる。

8 訓練

   老人、子供、皆はそれぞれ何をしたらよいのかきちんと知っており、そして、彼らは淡々とそれをしている。

9 メディア

   報告するときに抑制し落ち着いている。愚かなレポーターがいない。落ち着いたルポが続いている。

10良心

   店で電源が切れた時に、レジに並んでいた人々は、物を棚に戻し、静かに店を去った。

           本当にInspirationalー日出ずる国で起こっていること

    new備忘録

​                       少子高齢化など課題先進国・日本が世界の未来

      世界最高の学び舎・ハーバード大学の日本賛辞にビックリ、必読の書

        

        ハーバード大学10教授の白熱授業から見えた日本の魅力とは

 

              第1講義   教養としての「源氏物語」と城山三郎

                                    アンドルー・ゴードン教授

       

              第2講義   「忠臣蔵」に共感する学生たち

​                                    デビッド・ハウエル教授

       

              第3講義   竜馬、西郷は「脇役」、木戸、大久保こそ「主役」

                                    アルバート・クレイグ名誉教授

              第4講義   ハーバードの教授が涙する被災地の物語

                                    イアン・ジャレッド・ミラー教授

              第5講義   格差を広げないサムライ資本主義

                                    エズラ・ヴォーゲル名誉教授

                 第6講義   渋沢栄一ならトランプにこう忠告する

                                    ジェフリー・ジョーンズ教授

              第7講義   昭和天皇のモラルリーダーシップ

                                    サンドラ・サッチャー教授

     

              第8講義   築地市場から見えてくるもの

                                    テオドル・べスター教授

              第9講義   日本は核武装すべきか

                                    ジョセフ・ナイ特別功労教授

     

              第10講義  世界に日本という国があってよかった

                                 アマルティア・セン教授(ノーベル経済学賞受賞者)

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         「六 然 訓」  明の崔銑  (聴松堂語鏡)

  自 処 超 然  (自分についてはいっこうに物にとらわれない)

  処 人 藹 然  (しかし、人には常に好意を持って、和やかに)

  有 事 斬 然  (何かある時はキビキビと取り組む)

  無 事 澄 然  (何もない時は澄み切っている)

  得 意 淡 然  (得意の時はあっさりしている)

  失 意 泰 然  (失意の時は逆にゆったり構えている)

    * 男として、人間として究極の理想であり、現役の時仕事が円滑に進まないとき、良く読み返していました。

 

 「21世紀のマネジメント革命明日を支配するもの」  ピーター・ドラッカー

                      1999年元旦カルフォニア州クレアモントにて

『私は、21世紀の日本があの日本に特有の社会的な調和、「和」を発展させていくことを願う。「和」の精神の発展こそ、この

 

50年間に今日の日本を築き上げた方々、私が40年前の初訪日以来親しくさせて頂いた方々とその同僚の方々の偉業だっ

 

た』

 

 

「17条の憲法に学ぶ」   江坂彰  PHP「歴史街道」 1989.4

日本のこれからの理想的なトップは自由闊達な意見を述べさせて、その中から1番良いものを選択し決断する。そう

 

いう衆議独裁タイプが最もふさわしい。これが「和」の経営である。

世界情報「日本の国益委員会」  2001・7/17レポート

1999年5月4日NHKスペシャル「驚異の小宇宙・人体Ⅲ」によると、ミトコンドリアのDNAを分析して得た結果では、

 

本州の日本人は中国に多いタイプが25.8%、韓国に多いタイプが24.2%と両者合わせて5割を占めており、日本

 

固有のタイプは僅か4.8%しかなかった。

これに対して、韓国では韓国固有のタイプが40.6%、中国では中国固有のタイプが60.6%を占めていた。日本は

 

国や中国との比較では明らかに多民族国家なのだ。この多民族国家のエネルギーが7世紀から8世紀にかけて日

 

本という国を成立させたのだろう。

 

「森と文明」  ジョン・パーリン  1994年

「文明の盛衰の鍵は森にある」といわれる。森の伐採を扱った人類最初の記述「ギルガメシュ叙事誌」に登場する地

 

域は西欧文明発祥の地「肥沃な三日月地帯」といわれたメソポタミア南部の都市国家ウルクであり、当時のウルクの

 

支配者あったギルガメシュ王は立派な都市を建設することで自分の名を不朽にしたいと獰猛な半身半獣の森の神

 

フンババをし、美しく神々しい「レバノン杉」の森を自分の支配下に治めた。

ギルガメシュのような人間は地球上のいたるところで、あらゆる時代にわたって5000年の間、くり返し現れてきた。世

 

界の森はいま、いや環境は危機に瀕している。

「外交の基本」

    防衛大学校教授  村井友秀 「失敗の本質」著者

『古今東西、外交の基本は「棍棒を持って静かに話す」ことに尽きる。棍棒を振り回すだけでは問題は解決せず、静

 

かにすだけでは相手を説得することはできない。』

  *今日、喫緊の北朝鮮問題を始め東アジアの安全保障環境が激変している状況における日本の外交・防衛の             あり方 が根本的に問われています。

「背骨は厳存、危機に真価」(読売新聞、期日不明)

                         中曽根康弘 元首相

自民党初代総裁である鳩山一郎首相は、憲法改正による自衛軍創設を掲げる一方で、日ソ共同宣言に調印し、日本の国連加盟を実現した。この政策的な幅の広さが、保守の政治だ。戦後保守政治の基礎工事をしたのが鳩山さんと岸信介さんだろう。

 

保守とは「不易と流行」であり、「原則と展開」だ。歴史、文化、伝統のいいところを保持しつつ、しかし新しい変化にも対応する。この根っこと幹が「保守」であり、そこから新たに伸びる枝や葉や花が流行、すなわち「保守による改革」だ。

私が首相時代に進めた行財政改革は、保守の上に立った改革ということを明確に意識してやった。いま「改革」は自民党の独占物のようになっているが、野党から改革という政治的シンボルを奪い、党勢の後退に追い込む手法の走りが、当時の国鉄民営化だ。その結果、労組は衰退した。

その後、保守による改革を意識的、論理的に構成して国民に訴えた自民党政権はあまりない。竹下、金丸ラインにはこれは不向きだった。宮沢君がそれをやるだろうと思ったが、政権の推進力が弱かった。保守改革路線を復活させようとしたのが、橋本内閣の「6大改革」だったが、経済対策の失敗で挫折した。

この間、日本社会は激変した。集団主義が廃れ、個人主義の時代になった。その流れを読み、砂のような個人の票を結集したのが小泉君だ。

しかし小泉改革は、保守の枠を逸脱している。「自民党をぶっ壊す」といった言葉の力で国民を動かす大衆政治の手法はうまいが、改革の目標や中身についての説明は不足している。歴史、伝統、文化への目配りも足りない。

「もう保守政治は終わった」という議論がある。あながち否定できない見立てだろう。しかし、背骨は厳存する。

今後、安全保障などの面で日本が危機に直面すれば、変化は起こる。そうゆう局面では国民の中に「ネーション」(民族)という概念が強く出てくる。それは、保守政治と非常に近い血筋を持っているからだ。財政再建を考えても、その時は近づいている。ネーションの考えと力なくしては再建できない。(談)

  *今日、「国難突破解散」ということで、2017年10月22日投票に向けて、政権交代を目指して激しい3極対決が日々展開されている状況です。しかし、初めて観る国会議員としてまた、政党人としての矜持や政治理念もかなぐり捨てて、「当選せんが為」の情けない離合集散が展開されている今日、中曽根元総理はどのような胸中でしょうか?

 

new備忘録 

  首相時代に137回の座禅も 中曽根康弘氏が生前語った「人間は宇宙」の意味(AERA)

                                                                                                                                                                                                         12/12(水)配信 YAHOOニュース

過去と歴史への学びを貫く人だった。

11月29日に101歳で死去した中曽根康弘元首相。「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄民営化などを推進。昭和時代に首相を務めた最後の政治家でもあった。

 

1997年には、現役議員として大勲位菊花大綬章を受章。元首相の孫で自民党の康隆衆院議員(37)は、忘れられない言葉として、初当選時に「政治家というのは先見性を持たないといけない。そのためには過去を知らないといけないから、歴史を勉強しろ」と激励されたことを挙げた。

中曽根元首相は常に過去と歴史を学ぶ人として知られていた。読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏(93)は、中曽根元首相の訃報を受け、コメントを発表。記者時代、毎週土曜日には読書会を開き、良書を読み漁っていたことを明かした。

週刊誌「AERA]でも、読書家の顔をのぞかせていた。2006年8月7日号では、「超古典よこしま読破術 青春時代にリベンジ読書」と銘打ち、だれでも名前は知っているが、周囲のだれもが読み通したことのない「超古典」を紹介。各界の読書家にインタビューし、その極意を聞いていた。中曽根元首相にも、取材を申し込み、中曽根流の超古典の“打ちまかしかた”を語ってもらった。

中曽根元首相は、道元の「正法眼蔵」やパスカルの「パンセ」を上げ、普遍的な読書を読むことが政治的決断に大きく影響していたと明かしていた。また、古典を読むことが、“不死のネットワークに入ること”であると考えていた。ここでは、当時の中曽根元首相のインタビューを再掲する。

中曽根康弘  不死のネットワーク

自分の専門以外の、普遍的な書物を読むことは大事だね。そうしたものは、無意識のうちに蓄積される。政治的決断をするときにも、稲光がひらめくのだ。

道元の「正法眼蔵」の山水路は高雄海軍施設部にいたころ、森の中のセメント小屋の蚊帳の中で、アセチレンのランプをつけて筆写した。理屈はやめ、座禅しろ、大自然との一体感で悟りが降りる。総理だった頃も日曜の夜、137回座禅に行った。

「パンセ」はフランス語で読んだ。1600年代当時のフランス語だから、今の辞書にはない言葉もあって非常に苦労したね。理性が大切だと言っている科学者が、情熱はもっと大事だと言い、キリストに対する信仰を揺るがないものにしている。パスカルという人柄にひかれた。人間像を極めたいという願望は、我々の青春時代にはだれでもあった。それが私の場合、パスカルや道元だったんだね。

「正法眼蔵」は全部読まなかった。脇に置いておき、拾い読みをする。自分の勘に入ってくるポイントが見つかるまであたっていく。今の世は複雑系。中心点がない山脈みたいなもの。だが古典は富士山みたいなもの。独座大雄峰(どくざだいゆうほう)なのだな。

道元にもあるが、人間は大宇宙の一つの因縁。形はなくなるけれど、決して死なない。人生は、生まれる時から始まり、人と会ったり、学者なら学問研究したりでつくられる。そうした縁の総合体系が人生だ。また、縁の集大成が文化となり、文明となる。古典を読むという行為は、縁の大きな、不死のネットワークに自覚的に入っていくことなんだ。

                                 *AERA2006年8月7日号から再掲載

「次なる価値創造へ」

      慶応大学東アジア研究所長   国分 良成    読売「論壇季評」2007/6

・精神主義だけでは国富も民富も生まれない。通商国家日本は、今後もグローバル市場原理が支配する熾烈な競争の世界で生きていかざるを得ない。それは逃げることのできない現実である。

・今の日本に求められるのはグローバルな国際社会の現実に向き合ったうえで、それにどう対応し得る政府と国民の関係を構築し、より生活の質に根差した新たな価値を創造する知恵である。失われつつある日本の良き文化・伝統や社会規範の再解釈はその文脈の中でのみ意味がある。

              

       

「アジアモンスーンの水と人」

               

                     東海大学海洋学部公開シンポ  2006/11

・大陸と海洋の暖まりやすさの違いによって、夏は海洋から大陸へ湿った風が吹き、冬は大陸から海洋へと乾燥した風が吹く。この大陸と海洋の調和によって作り出される季節風(モンスーン)はアジア地域に世界でも稀に見る豊かな自然をもたらしてくれる。この豊かな自然に恵まれたアジアモンスーン地域では、人々が古くから自然と調和した生活を送り、独自の文化・文明を築いてきた。

・しかし、最近の国際化・近代化の波がこの地域にも大きな影響を及ぼしており、地域文化と人々の暮らしを大きく変化させてきている。このアジアモンスーン地域への国際化・近代化の波は我々日本人と無関係ではない。現代日本はアジアで生産された食料を大量に輸入し、工業製品の生産拠点をアジアにシフトしてきている。また、アジア地域の近代化に対して巨額のODA予算を投入もしてきている。

反面、我々日本人は同じアジアに暮らしながら、どれだけアジアモンスーンの自然とそこで暮らす人々の生活を知っているだろうか。欧米の暮らしぶりはテレビドラマや映画でも馴染みがあるが、アジアの人々の生活については旅行先で出会うあの屈託のない、優しい笑顔しか頭に浮かばない。

「イギリスの教育を象徴する精神」

                        

                                            「 自由と規律 」  池田 潔

「最も規律のあるところに自由があり、最も自由なところに規律がある」という精神はまさに英国の精神の真骨頂だ。

 

つまり、「規律なき自由は放縦であり、自由なき規律は専制だからです。イギリス人の多くが「自由の国アメリカ」に懐

 

疑的なのはこの点が一つあるかもしれない。アメリカでは時として、自由と放縦を取り違えており、少なくとも「銃規制」

 

が極めて放縦なのはその例の一つ。

「日本の危機管理能力」

                      

                                                              小川 和久 「日本の戦争力」 2005年

・2005年3月スペインのマドリードで開かれた「民主主義とテロ、治安に関する国際サミット」に日本の政府関係者が1人も出席がなかった。アナン国連事務総長をはじめ世界23か国の首相と国家元首クラスの要人400人以上の専門家が出席し、民主主義社会がどのようにしてテロを克服していくかを模索する会合だった。

・サミットの出席者から「世界で初めてサリンという大量破壊兵器でテロをやられた日本は同時多発テロのアメリカ、列車爆破テロのスペインと並んでテロ克服をリードすべき立場なのに、1人も政治家が出席していないとは信じられない。そんな日本が国連の常任理事国になるといっても、支持するわけにはいかない」と批判が噴出した。

 

「日本人のアイデンティティ」

              

                   法政大学国際日本学研究所  王 敏  2006年12月 公明新聞

・日本という国土を特徴づけるのは「島国」ではなく「森の国」ではないか。7世紀末から10世紀前半に「渤海」という国

 

日本海を挟んで平城京、平安京の日本と菅原道真等を中心とした使節を35回にもわたって文化交流を実施した。

 

鑑真和上等同じ冬でも、日本の緑のある景観に感動したに違いない。洋上からは「緑の国」と見えたことだろう。日本

 

人には豊かな森に感謝して育まれた独特の自然融合感があるようだ。森を精神的土壌にして生まれる気高い感性を

 

理解することなしに日本人のアイデンティティは理解できないのではないか。

                                            読売新聞編集委員   芥川 喜好   2007.11.24

・今年8月、フィンランドで開かれた国際森林研究機関連合の会議で、注目を集めた日本からの発表がありました。人間の体がいかに「森」によって培われ、森の環境に適するようにできているかを生理的実験の積み重ねで明らかにした研究です。たとえば1定数の被験者に森林浴や杉チップの香りをかがせたりしながらデータを集めます。

・その結果、脳活動は鎮静化し、血圧や脈拍は下がり、瞳孔の収縮が見られるなど、生体のリラックス状況が現れる。面白いのは、この香りを不快に感じる人でも、生体の反応は「ストレス」ではなく「リラックス」を示すことです。つまり、個々の好き嫌いを超えて人間の体は自然対応用にできている。自然の前で体が正直に反応してしまう。

 

・考えて見れば、500万年の進化を続けた人類が川のほとりに都市文明を築き始めてまだ、5,6千年です。ほとんどは森の中だった。つい先刻までは、すなわち「太古の野生の森や草原に生きた脳をもって、私たちは今日、都市生活を営んでいる。」森の気を浴びる快適さは誰でも知っていますが、それは「人間本来の姿」に近づくことになります。だから、ストレスは緩和され、免疫機能も高まる。都市は無限でも人体は有限です。身を慈しむほかありません。この研究は健康の増進と森の再生をめざして始動した国の「森林セラピー」事業の根拠になっている。

                                              朝日「明日はあるか」異分野発  2002.1.8

                                                             北大教授   養老 孟司

「21世紀の課題は環境問題に尽きると思います。人は都市を造りたがるが都市文明はエネルギーを使ってモノに付加価値をつけることで成り立ちます。だから資源が枯渇すれば文明は滅びる。古代の四大文明も、木材を消費し尽した時点で消滅しました。」

「こんな前例があるから世の中は30年前石油が持つかと心配した。ところが、20世紀末になって分かったのは問題は石油の埋蔵量ではなく、排泄物、つまりゴミだということでした。いまや、人類は資源ではなくゴミで滅びる可能性が高い。こうした経済構造をいつまで続けるつもりなのか、経済界の人たちは、ことの深刻さに気付いているのでしょうか。」

「そもそも、社会が『脳化』していることが問題じゃないですか。脳化とはああすればこうなると考えることです。すべてが意識のもとにコントロール可能だと思いたがることです。でも、肝心の人間は自分の死期さえ分からない不確定性に満ちた存在でしてね。自分が不確かである程度に、不確かな自然、世界が一番暮らしやすい」

「人間が本当にものを学ぶのは現場からです。ことの本質は五感を通じて入ってくるものに直面し、そこからつかみ取るしかないのです。」

 

森は海の恋人」という。森からの贈り物が海の命を育む。海は雨となって森にお返しをする。

 

森と海の恋路を仲立ちするのは川だ。

                                                                                                                                      熊日「宝の海・有明海」

                            詳しくは「森は海の恋人・畠山重篤・文春文庫」

「望ましい21世紀のリーダー像」

                         元国連事務次長  明石 康

民主主義が浸透していく国家のリーダーに不可欠な要件は個々の政策についての知識ではなく鋭い価値観と明確な方向性である。眼は遠くに足は地に着いたやり方で国民全体の中核になって進んでいける人が求められる。日本社会に残っている性的差別その他あらゆる偏見から自由な人ということになる。

リーダーには高潔な人格とたっぷりとした人間的な魅力と素晴らしい説得力が要請される。難かしい問題を易しい日常のことばで説明できる大衆性を持つべきだ。

21世紀の日本の最大の問題は2つである。1つは教育である。世代と世代の間の深い溝を埋める世代間対話を進めることが急務である。2つ目は日本とアジア、欧米その他のギャップを埋め、日本の意志を明確かつ迅速に伝える能力である。そのためには日本の文化に対する造詣と洞察も必要であり、また国際社会における常識に通じていることが重要である。通訳を介せず自分の意志をくつろいだ形で伝えることができなければ話にならない。

 

 

「日本文化の再構築」  2004年 読売新聞「論陣」

                国際日本文化研究センター顧問  梅原 猛

「自然と共生する日本文化のよき伝統を思い起こせ」と政治・外交の混乱を見渡して説く。かたや田辺聖子さんは「やさしさと思いやりの欠如」を嘆きつつ、古典に範を求めよという。ともに日本文化再構築の精神的な柱は意外と足元ににあると主張する。それは敗戦後ただひたすらに経済を軸に成長に突き進んできたわれわれが、切り捨ててしまった「戦後日本の忘れ物」なのかも知れない。「21世紀がどこへ向かうかの見通しを政治家・首相はもつべきだ」

「21世紀の人類の理想を知って、それに近づくことが真の改革なのだ。近代化で捨て去った仏教にも神道にも儒教にも学ぶべき思想がある。もう一度、足元を見直し、日本が未来の世界に向け主体的に高い理想を掲げるべきだ。それが国際社会の信頼を勝ち取ることになる。」

「失った20年」からの再出発

           日本経済新聞「一目均衡」   2009.12

日経平均株価が最高値3万8915円を付けた、1989年12月29日から近く20年。当時の雰囲気では今頃は優に10万円を超えていたはず。現実は期待値の10分の1以下。問題は次の10年。閉じた日本を開放すれば、世界の躍動感を取り込めるのではないか。日銀の資金循環統計によると、89年3月末には個人金融資産926兆円の11.3%、105兆円を株式が占めた。今年9月末には個人金融資産は55%増の1439兆円に増加、しかし、株式は38パーセント減の65兆円となった。

代わりに普通預金などの流動性預金が急増した。何と全体の19%に当たる279兆円が金融機関の口座で眠っている。個人、生命保険、銀行、年金が総額で35兆9000億円売り越し、外国人投資家が34兆6000億円買い越した。

やはり、日本は特異な市場。投資信託に対する期待が成長分野への投資ではなく定期的な分配に偏っている。

しかし、次の10年も「投資より投機」「成長より分配」でいいのだろうか。戦後の東証再開(1949年)以後の日経平均を振り返ると、89年を境に40年上げ、20年下げたことになる。日本の成功体験はもう20年以上も昔の話。次世代のためにも、新たな成長ストーリーを組み立てる時である。

*この記事から8年、民主党政権3年の後を受けて5年前に安倍首相が第2次安倍内閣を組閣して、経済政策「アベノミクス」を積極的に推進して、「景気はバブル超え」とも言われている。これまでの景気回復感と比較すると産業間・業種間格差や経済の成熟化に伴う低成長率の関係もあって、国民感情からすると「実感乏しい景気回復」の様だが。

 

日本を考える「M&A]

          日本電産 永守重信社長  読売 2007.8.14

日本での最近の「M&A」案件を見ると、ライブドアも楽天も全部欧米スタイルを採っている。公開株を誰が買おうと勝手だという論理を展開する。だが欧米企業と違い、日本企業はオーナーが変われば動揺する。外資にしてみれば「会社は株主のもの」というのは当たり前だろうが、日本では通用しない。日本企業の従業員はオーナーを重視する。生涯そこで働こうとしているからだ。

この「終身雇用」「年功序列」こそ、日本的経営の強さだと思う。経営者は下から上がってくるので社員の顔を知っている。先輩・後輩もはっきりして命令も仕事もやりやすい。理論的には会社は株主のものだが、日本の場合は会社を愛し、頑張ろうという社員がいないと株主価値は上がらない。だから社員の支持を得られない敵対的買収は日本では無理だ。成功する可能性は限りなくゼロに近い。

 

「企業や資本主義が倫理的であり続けることは難しいが、倫理を喪失した企業や資本主義は崩壊する」

                                 経済史家   大塚久雄

 

日本を考える「企業倫理」

         

           京セラ名誉会長  稲森和夫  読売 2007.8.26

東洋には他者や自然との共存や調和を求める考えが根底にある。21世紀に入り、人口が爆発的に増える一方で地球上の資源は有限だ。食料にしてもエネルギーにしても、いずれ賄いきれなくなってくる。今こそ、東洋的な考えも必要なのではないか。

 

世界の人たちがこれ以上欲望の肥大化を求めないこと、仏教でいう「足るを知る」ことが必要なのではないか。有識者が集まって、東洋的な考えを基本に、新しい経済哲学というものを作り上げるべきだ。そうでないと21世紀の経済は回っていかないと思う。

食文化(ガストロノミー)事業・ギリシャ

        インターナショナル・ケラズマ(もてなし料理)会議より   金丸弘美の「食からの地域再生」

食を歴史的背景、栄養価、食バランス、加工品、伝統、そして新しい料理、地域の観光までを結び付けたトータルデザインを配慮した演出は絶対必要不可欠。地域にあるものを再構成して具体的に見せるというワークショップ形式の演出はすでにイタリアのスローフード協会が行っている。

スローフード協会では行政・企業を巻き込んで地域経済につながる文化事業としてのガストロノミーを着実に構築。地域景観を活かし、観光に結び付け、宿泊施設のある農家に泊まり、ワインやチーズなどの地域加工品をプロモーションし、ガイドブックの作成での観光誘致や特産品の普及、加工品の展示即売会開催、世界の料理家の料理紹介、シンポジウムの開催などのトータルデザインで地域農家や商店街や観光地に大きな経済効果をもたらした。日本は地域や農業を活気づかせるトータルデザイン思考が欠落。

「効率」という名の文化破壊

                     国際日本文化センター  猪木武徳 教授   読売2007.12.12

縮小と効率化への努力の過程で、重要なものを同時に捨て去ろうとしてはいないか。行政の減量・効率化を検討する際、この国の教育・研究、文化政策の現状はどのように議論されているのだろうか? 

 

人的資源という国にとって最大の、そして日本にとっては唯一の貴重な資源の現状と将来を考えると肌寒く感ずるような例は多い。大学教育への公的支出に関するOECDの調査一つ見ても、日本はGDPの0,5%、29ヶ国中28位なのである。これでは「文化国家」と言って胸を張ることはできない。

 

「食のきずなー心をつくる、心を食べる」

                      東京農大教授  小泉武夫   読売 2008.4.5

日本の食の現状について危機感を持っている。海外に食料を委ねることには4つの問題がある。1つは地球人口が爆発的に増え、世界的な食糧不足の中で日本だけが食料を買い続けることは無理。2つは輸入国が永遠に供給できる保証はない。3つは世界的な異常気象。4つが中国冷凍餃子の如く食の安全安心が全く期待できない。

日本の農業問題と国民の体と心の問題も非常に大切。日本人の食はモンゴロイドの民族食だった。50年という短期間にアングロサクソン化した。日本人の腸がアングロサクソンやゲルマン人より長いのは民族の遺伝子によるもの。この50年間、肉の消費量が3,5倍に増え、ミネラルの摂取量が三分の一に減っている。こんな短期間に食生活を180度変えた民族は日本人だけだ。草食性動物が肉食性動物に変わった。体も心もおかしくならないはずがない。

高知県南国市では10年前から地元産の食材だけを使った和食中心の学校給食を実施。その効果は①病気がちの子どもがいなくなった。②成績が良くなりいじめがなくなった。③給食を残す子どもがいなくなった。中学校に行って「南国市は好きですか」と聞いたら、全員がVサインで好きだという。本当の食育はこれだと思った。食育は大人の教育である。

「エコの壁」環境問題はなぜ理解できないか

          

                 東大名誉教授  養老 孟司

アルゴアの「不都合な真実」は実は一番大事な事を隠している。炭酸ガスの温暖化問題はアメリカ文明そのものの問題で、そこを言っていない。彼は環境問題は倫理問題だと言うが、石油に依存してきたアメリカ文明そのものが倫理問題に引っかかってくる。

20世紀に入って、テキサスから大量に石油が出た。それまでの石炭に替えて、石油の可能性をいち早く利用したのがアメリカだ。フォードが大衆車を世に出したのはそのすぐあと。アメリカの本質は自動車文明ではなく石油文明だ。

さらに言うと、アメリカが主導してきた自由経済と呼ばれるグローバルシステムには、一つ制限が掛かっている。その暗黙の制限は「原油価格一定」ということ。同じ価格で無制限に原油が供給されるという前提の上に、アメリカ経済は成り立っているわけだ。

米国産の石油が足りなくなったら、アメリカは世界中から石油を探した。いま、アメリカが石油に敏感なのは、原油価格が上がれば米経済を直撃すると判っているからだ。石油供給に関する安全保障を徹底的に考えてきている。

朝日コム「コラム経済気象台」2004.4.13

「シカゴに本拠地のある名門法律事務所の友人によると、シカゴとインドの時差は丁度12時間。シカゴの夕方、その日一日

 

の仕を朝が明けてきたインドのオフィスに引継いでもらうと24時間体制と同じになるという。『時を得るものは昌え、時を失

 

うものは亡ぶ』時空を超えるIT革命は着々と進んでいる。

『崩れた米国流価値感』 「どう立ち向かう金融危機」    読売 2008.10.7

                       

                     国際日本文化センター  猪木所長

世界はこの20年ほどの間「自由は善、規制は悪」という単純な論法でやってきた。その価値観が今、大きな修正を迫られている。

1980年代までの自由主義世界は、自由経済といえども政府が最低限のルールを作るという意志を強く持っていた。労働分野では政府は賃金や労働時間などを積極的に規定し、労使交渉に任せきりにするようなことはなかった。金融分野ではグラス・スティーガル法が典型だ。銀行と証券の兼業を禁止し、金融業の倫理を保つ役割を果たした。ところが、80年代半ばから世界観がガラッと変わる。労働市場から政府は手を引き、90年代終わりには銀行と証券の垣根も撤廃された。

「小さな政府」「規制緩和」「市場原理」「民営化」といったアメリカ型の価値観が世界中にばらまかれた。いわゆる「ワシントン・コンセンサス」だ。その路線は今や完全に行き詰った。21世紀の日本で起きたことを見ても、それは明らかだ。企業の作り出した付加価値の分配がおかしくなって賃金は上昇せず、ほとんど株主の配当に向かった。「企業は株主のもの」というアメリカ型の思想に経営者がかぶれて、従業員、地域社会とも深いかかわりを持つ社会的存在という視点を忘れたためだ。その結果、豊かさに於いて不平等だという嫉妬や恨みが社会を覆っている。

「ワシントン。コンセンサス」をまき散らしてきたアメリカ自身が自由主義経済の再構築に乗り出さざるを得ない。自由競争が人間の福祉を実現するには、行き過ぎやごまかし、不正がないような枠組みを作る必要がある。アダム・スミス以来の原則だ。まずは金融制度の再建から始まるだろう。

「世界不況を生き残る策」

            国際大学教授   宮尾 尊弘    読売「経済展望」 2008.10.25

グローバルな金融システムの崩壊は主要国政府と金融当局の協力で何とか避けられそうだが、金融危機の影響で実態経済面の不況が本格化しつつある。金融は当局の支援や保証が最後の手段として有効だが、実体経済は特に世界同時不況下では当局の対策が民間経済を刺激する可能性は少ないからである。

このような状況下で民間の企業や個人はどのように生き残りを図っていくべきであろうか。ポイントは世界経済の歯車が逆回転する中で、これまでの発想をすべて逆転させる必要があるということ。

 

第一にグローバル化している分野ほど世界不況の影響をより大きく受けるので逆に国内、地域内、コミュニテー内で落ち込みがより少ない分野に経済活動の重点を移すことが求められる。地産地消型の農業などが安全性だけでなく経済面でも注目に値する。

第二はこれまで高齢化する経済は停滞傾向が顕著だったが、今後は若年層がローンで住宅等を買えなくなる一方、高齢者ほど貯蓄を取り崩して消費する可能性が高くなる。年金不安を早急に解決して、高齢者が安心して支出できるようにすることが肝要である。

第三に大都市の落ち込みが大きくなるので、これまで取り残された地方の中小都市が相対的に浮上する可能性が高い。不動産市場の落ち込みも少なく、今後の景気対策で政治の圧力もあり、地方への配分が期待できる。このような動きが単に生き残り策を超えて、地方中小都市の再生と新しいライフスタイルの定着を日本でも可能にする出発点になることを祈りたい。

Cultureとは(出所不記載)

 

元来ラテン語、この言葉は農業に、農耕文明に非常に深い関係を持っている言葉。

英語のカルチャアの動詞はカルテベイト(cultivate)ですが、これは土を耕し、植物と作物を大切に育てて、その植物が本来的に持っている可能性を実現させる、その最も美しい花を開かせる、或いは最も香ぐわしい果実を実らせるということであり、カルチャーとはその植物が作物であれ、果樹であれ、次第に生長し発展してついに咲かせた花、ついに実らせた果実という意味。

「教養」とは、人間が長い時間をかけて成長し、成熟して遂に身につけた力、周りの人を、環境を明るく、豊かに、美しくするのに役立つ力、その人の言行の中から滲み出ている力のこと。

日本の文化とは何か。それは日本という国が存在することによって、世界がどのくらい明るく、豊かに、美しく変化するか、その力が日本の文化。

「ゲームのルールが変わる」変化対応の経営では遅い

                        日経2009.6.1「中外時評」論説委森一夫

石油文明が興隆した20世紀の繁栄を担ったのは自動車産業である。そのシンボルが豊かな米国を支えたGMだった。21世紀は低炭素社会への移行が課題である。石油に代表される化石燃料の大量消費の見直しがすでに始まっている。GMの盛衰は教訓に富む。ハイブリット車、電気自動車の今後の普及は自動車関連産業に革命的な変化をもたらす。他の産業も大きく変わる。まさかと思うような大企業も経営破綻する恐れがある。

倒木更新という言葉がある。朽ちた大木が倒れれば、下まで日が差すようになり、落ちた種からたくさんの芽が出てくる。こうして森林は再生を繰り返す。経済も企業の新旧交代によって発展する。京セラの創業者の稲森和夫氏がそんなたとえ話をしていた。

今日の勝者が明日も勝者であり続けるという保証はない。古いルールしか理解できない経営者には舞台を降りてもらうほかない。新しいゲームのルールを作り出す気概のある経営者だけが未来を担う。それを決めるのは政府ではない、市場である。

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